むすび通信

農から学ぶ哲学初版完売!!

5月に出版しました、「農から学ぶ哲学」(文芸社 森賢三・森光司共著)初版550刷が、7月4日時点で完売となりました。

ありがとうございます!!

そして、8月上旬に500冊の重版出版が決定しました。

現在は出版社では「在庫ゼロ」となっており、7月中の入手は不可能となっています。

オンラインショップからの購入はしばらくお待ちください。

また、書店からの注文は受け付けてくれますが、「8月重版出版待ち」である旨お伝えください。

引き続きのご支援よろしくお願いします。

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農から学ぶ哲学

大変ご無沙汰しています。

以前より「むすび通信」として発信していた内容が、一冊の本としてまとまりました!

 

『農から学ぶ哲学 ~宇宙・自然・人 すべては命の原点で繋がっていた~』(文芸社、森賢三・森光司著)です。詳しくはこちらをご覧ください。

http://www.bungeisha.co.jp/bookinfo/detail/978-4-286-18214-8.jsp

 

和歌山の書店では、5月の一か月間、以下の書店にて複数冊扱ってくれています。

 ・宮脇書店 ロイネット和歌山店(和歌山市)

 ・荒尾成文堂(新宮市)

 ・福岡書店(海南市)

 ・アラオ 岩出店(岩出市)

 ・アラオ 打田店(紀の川市)

(「文芸社」あるいは「ブックステージ」と書いた青いステッカーが目印です)

また、上記以外にも全国60店舗に配本されています。一度手に取ってみてくだされば幸いです。

 

さらに、和歌山ビッグ愛にて「出版記念講演会」を以下の内容で開催します。

日時:514日(日)18302030 

場所:ビッグ愛 12F

会費:1000円(本代含む)

ご参加いただける方は、事前にメール(ken3_musubi@nifty.com)にて参加者のお名前をお申込みください。

 

なお、大阪方面の方には、527日(土)14301630に、第33回エコネット・カフェで「農からの再生」として本の内容をお話しさせていただきます(会場:エコネット近畿 事務所内)

会場にてお待ちしてます!

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むすび通信136号(農哲3:慣行農と自然農)

1年間もむすび通信の執筆活動がストップしていましたが、来年5月ごろに「農哲学」の本が出版できることがほぼ決まり、執筆再開しました。

ーーーー
農法には、大きく分けて慣行農と自然農の二つがあります。慣行農とは農薬等の化学物質を使用した一般的に広く行われている農法で、自然農とは化学物質を使用しない農法です。
私たちの農法は概ね自然農ですが、慣行農が間違っているとは考えていません。著者の一人である森光司は慣行農のハウス栽培からスタートし途中から自然農に切り替えました。、森賢三はみかん栽培を現在でも慣行農と自然農の両方で行っています。

慣行農は病気や虫の発生を薬の力で抑えます。このことによって安定した収量や品質の維持が確保されます。一方、自然農は作物が本来持つ力を最大限に発揮できるように、農家がそのお手伝いをします。作物がいまどのようなサポートを望んでいるかは、状況によって絶えず異なるので、手間もかかるし失敗もします。収量も品質も安定しませんが、収穫された作物のパワーは高くなります。

比較するのは適切ではないかもしれませんが、農法を医療に例えるなら、慣行農は西洋医学的で自然農は東洋医学的と言えるかもしれません。しかし、どちらの医療が正しいかという議論は意味がありません。患者にとって重要なことは、病気が治るかどうかです。
今日の医療での最大の間違いは、患者の意識にあるように感じます。病気は「自ら治す」ものであり、医師はその手助けをしてくれる存在です。しかし実際には、「(先生に)治してもらう」という意識の人がとても多いと感じます。
私たちの病気に対する正しい向き合い方としては、
 ・日ごろから自らの健康について意識し、できる限りの努力は怠らない。
 ・それでも病気になった時は、病院で診察を受ける。
 ・現在の自分の状況を理解したら、対処可能なできる限りの選択肢を準備する。
 ・その中から自分の意志で治療方法を選択する。
 ・治療を受けることにした医師との信頼関係を構築し、委ねる。
であると思います。
そして農業も同じです。しかし、作物は自分で考え選択することができません。作物の代わりに考えてあげるのが農家です。私たちはベースは自然農ではありますが、そこに決まり(制約)は設けていません。ですから必要と感じたら、農薬の使用もためらいません。
あくまでもその時に作物にとって必要と思える処置をし、その決断(結果)に責任を持つことです。
そして、私たちの作物は、「今の私たちにできる限りの最善のものをご提供しています。」と胸をはって言えることです。

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むすび通信135号(農哲3:無肥料栽培)

2015.8.20発信)

 

○無肥料

 

タイトルに無肥料栽培と付けましたが、私たちは肥料を使わないことを前提としているわけではありません。肥料がなくても作物は育つという意味で、そのような圃場整備をしていくことを目指しています。

肥料がなくても作物が育つ環境とは、土中において陰と陽の両方が存在する環境です。両方がそろう時、新たな生命が誕生します。

 

○土中の陰陽

 

では、土中における陰と陽のエネルギーの正体は何でしょう。

陰のエネルギーとは、物質(有機物)が微生物の力によって、「有(物質)」から「無(エネルギー)」へと転じた状態です。この状態は還元力がとても高い状態でもあり、土中はマイナスイオンで満たされています(作物の吸収力を助ける)。

その為には土中を多様な微生物で満たす必要があり、「乳酸菌栽培」等によってサポートしていきます。そして微生物にはエサが必要です。しっかりと草を育て刈りこんでいくことで、エサを供給していきます。

 

陽のエネルギーは酸素です。そして土中が酸素で満たされるためには、土が多孔質になっている必要があります。樹園地や野菜畑においては、2章で述べた天地返しの方法で土を多孔質に変えていくことができます。

その方法は土中の硬板層を破壊する方法でもありましたが、田んぼの場合、保水能力を維持しなければならないので、不透水層の存在は不可欠です。

 

○田の土づくり

 

田の土づくりは、お米を収穫した直後から始まります。

収穫した時に出るワラをすき込む形で、田に畝(うね)を立ててゆきます。この時、納豆菌(放線菌)もあわせて散布します。

これは、温かいうちに有機物の分解を促すためです。そして草の種の発芽も促します。そのことで、翌年の雑草の発芽をおさえることができます。

また、畝を立てることで酸素を十分土中に取り込むとともに、表面が凹凸になっているので、電子の活動が活発となり、還元力を高めます。

 

最初の畝を11月に立てたとして、年内にもう一度、畝のたて替え(凹凸逆に)を行います。そして1月か2月にもう一度元の畝に戻します。

すなわち、田の土つくりは、お米の収穫直後から田植えまでの期間に行い、畝の切り替えによって陰陽のエネルギーをしっかりと土中に取り込みます。

ちなみに、微生物によって分解が進むとマイナスイオンで満たされますが、そこに酸素を取り込むことは、プラス(陽)のエネルギーを取り込むことでもあります。そして「-(マイナス)」と「+(プラス)」が合わさると「土」となります。土こそが、陰陽合一の象徴です。

 

○田と草

 

無肥料というテーマからは外れますが、上記の方法で田の土づくりを進めると、田の草が生えにくくなります。

土づくりのあと、平らにして水を張ります。できる限り平らにすることが重要で、水田の環境を均一に保ちます。それでも草の種は発芽しますが、均一なので、まばらに発芽します。納豆菌が土中にたっぷり存在しているので、菌の攻撃で草が発芽しても弱くなります。そして弱い草は、タニシなどの攻撃を受けて除草されます。

これが均一でないと、一気に発芽するリスクが高まり、生き残る草が増えてきます。いったん生き残るとその草は強くなり、菌やタニシの攻撃を跳ね返します。

 

○もみ殻堆肥

 

最初に無肥料と書きましたが、自然の循環が保たれている圃場においては、肥料なしで作物が出来るという事で、転換中の畑など、まだ土づくりが不完全な畑においては、土からのエネルギーの供給が不足します。

その場合、肥料によって補ってあげることは重要ですが、不足している分だけ供給するというのは至難の業です。そして大量に投入された肥料は土づくりの足を引っ張ります。

 

なので私たちは自然に近い肥料を手作りし、必要に応じてその肥料を畑に投入します。

その肥料は、もみ殻と米ぬか、そして生ごみと水で作ります。

 

もみ殻はまず水でしっかりと湿っている状態にし、もみ殻にしっかりと米ぬかが付着する程度の米ぬかを加えます。生ごみはあるだけ加え、なければ加えなくても構いません。良く混ぜた後、できる限り高く積み上げてビニールで覆います。高く積み上げるところがポイントで、電子は高いところに登る性質があるので、積み上げれば積み上げるほど、発酵が活性化します。この時、乳酸菌溶液も一緒に投入しておくと、発酵はスムーズとなり、水の代わりに海水を用いるとさらに発酵が進みます。

その後、5日に1回程度の割合で切り返しを行い、乾燥してきたら必要に応じて水分を加えます。

これを4回繰り返すと、約1か月という短さで上質の堆肥が完成します。

それ以降は、例えば生ごみが溜まってきたら、堆肥の半分を畑に投入し、残った堆肥とフレッシュなもみ殻と米ぬか、そして生ごみを加えてよく混ぜて積み上げます。それ以降は、1~2回切り返すだけで、生ごみの姿は消えて、上質の堆肥となります。

 

ここでも大切なことは、畑が今何を望んでいるのか、その声を自分が聞き取ろうと耳を澄ますことです。ご飯が欲しいと訴えていたら、「無肥料」にこだわらずにご飯を上げてください。しかし、それをした後の観察もしっかりと続けて、その結果を受け入れることが大切です。

 

自分の信念に縛られて、あるいは失敗を恐れて「何もしない」ことが最大の失敗です。

 

(「無肥料栽培」、終わり)

 

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むすび通信133号(農哲3:乳酸菌栽培①)

2015.8.8発信)

 

○乳酸菌栽培

 

私たちの農法を「乳酸菌栽培」と呼ぶことがあります。これは、マーケティングの発想で名づけており、乳酸菌という固有の微生物にのみ特化したものではありません。より正確に表現するなら、「微生物活用農法」です。

 

乳酸菌栽培とは、乳酸菌に代表される微生物(善玉菌)を積極的に増やしてそれを園地に投入し、微生物の持つ力によって園地を本来のあるべき姿に近づけていこうとするものです。

 

その農法はとても新しい農法に思われますが、昔より「天恵緑汁」という名前ですでに実践されていました。そしてその作り方はとてもシンプルで、人間用として作られる酵素ジュースと基本は同じです。

 

○作り方

 

10リットルに砂糖1キロを溶かした砂糖水を作り、そこにヨモギの新芽の部分を摘んできて投入します。数日で発酵が始まるので、定期的に撹拌しながら十分発酵させます。発酵が落ち着いてきたら液を分離し、その液を100倍程度に薄めて、野菜や木の葉っぱに葉面散布します。

 

作り方は以上ですが、この農法の基本にある考えは、「発酵は多様な微生物のチームワークによって行われる。」「様々な免疫機能は、複数の栄養素のチームプレイによって発揮される。」というものです。微生物も栄養素も、多様に存在していることが重要で、理想は多様な関係性が「円」となることです。

 

ですから、多様な微生物の溶液を作ると同時に、多様な栄養素(酸・ミネラル・ビタミン)が含まれる溶液づくりを目指しており、その為に様々な工夫を施してきました。

 

○工夫

 

私たちは、水の代わりに海水を使用しています。これは、海水が最もミネラルバランスが整っているからです。海水というと塩害が気になりますが、人間が人力で運ぶ程度の海水量では心配ありません。むしろ、微生物と海水の相性はとてもよく、当初は少しずつ海水の割合を増やしていったのですが、増やすごとに発酵がより活発になってゆきました。なので、最終的にはすべて海水で仕込むこととなったのですが、もちろん真水でも問題ありません。

私たちは身近に海水が存在しているので、海水を利用します。農業資材として活用するのはすべて身近にあるものを基本としています。

 

酵素ジュースではできる限り多様な素材を投入するのが良いとされています。それは発酵によって生み出される酵素の種類が豊富になるからで、栄養素の種類を増やしてバランスを整えるのと同じ考え方です。

私たちもヨモギの新芽にこだわっているわけではなく、野草の成長点(新芽)なら何でもよく発酵します。その場所・その季節で旬の素材で発酵用液を仕込みます。例えばみかんでも発酵させるし、タケノコも使います。

 

新たに作った溶液をそのまま使用するのではなく、大きなタンク(メインタンク)を用意しており、新たな溶液はまずそこに投入し、古い用液と混ぜます。そして混ぜた溶液を使用しながら、新たな溶液を同時並行で仕込んでいきます。このようにして様々な素材からつくられた溶液をメインタンクの中で混ぜて、微生物や栄養素の種類を増やしていきます。

 

メインタンクには、有益と思えるものは何でも投入します。例えば、梅干を作る過程で余った梅酢や、赤シソのアク出しをするときに出た液なども入れます。もちろん有益であることが大前提ですが、何が有益かは自分で感じるしかありません。もし混ぜるのが不安なモノがあれば、別々に管理しておき、散布の前に合わせます。

 

このようにして作られた「乳酸菌溶液」は、作り始めて既に何年も経過しているので、今では「秘伝のタレ」状態となっており、その中に何が入っているかはもうわかりません。

 

(以下、続く。)

 

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むすび通信132号(農哲3:農法)

2015.8.2発信)

 

本章(3章)では、私たちが実践する農法の一部をご紹介します。

 

しかし、私たちはこの農法が「正しい」とは考えていません。そしてこの農法を広めていこうとも考えていません。ひとつの事例として受け取ってください。そして実践してみたら、その時自分がどう感じたかを観察してください。そして忘れてください。

 

○成功

 

農業を始める時、多くの先輩方は様々なアドバイスをくれます。そしてアドバイス通りに作業したら、多くの場合は成功します。アドバイスは、過去の成功事例を教えてくれるからです。農法とは過去の成功事例です。

 

しかし、成功は人を弱くします。正確には、成功体験が人を弱くします。

 

人は、成功を体験すると、わざわざ別のことをして失敗することが怖くなります。しかし、農法は時と場所によって絶えず変化するものだと思います。100人の農家がいれば、100通りの農法があります。

 

成功は、意識を過去に縛り付けます。過去からの開放こそが、重要となります。その点、失敗は大丈夫です。同じ失敗を繰り返したいと思う人はあまりいません。同じ失敗を繰り返さないために何かを変えようとします。失敗は人を強くします。

 

○知識

 

新たに農業をはじめようとした時、農法を学ぶことは重要です。それは農業に限らず、新たなことを始める場合は、何らかの知識を習得します。しかし、知識は思考を助けますが、「感じる」ことを邪魔します。

知識は「外」から取り入れますが、本当の答えは「内」にあります。

 

なので、知識は忘れるために学びます。

 

学んだ知識は、自ら実践(行動)するための手助けをしてくれますが、その時、自分の内側でどのような変化が起きたかが重要となります。その内なる変化を感じるために、外から取り入れた知識を忘れます。

しかし、その知識が自分にとって本当に必要なモノならば、今度は自分の内側から「知恵」となって再浮上してきます。

 

自分の内から出てきた農法こそが、その時と場所にあった農法です。

 

(「農法」終わり。)

 

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むすび通信131号(農哲2:法則②)

2015.7.20発信)

 

○流す(循環)

 

「無常」という言葉があります。「常(一定)であるものは何も無い」という意味です。

この世界のすべては流れています。変化し続けています。流れを止めることは、法則に反することになります。しかし、実際には流れが止まっている(ように見える)状況はたくさんあります。それは流れを堰き止めるモノが存在するからです。

 

硬板層(エゴ)がそうでした。そしてシンプルを目指すとは、流れを堰き止めているモノを取り除いていく行為です。執着を開放していくことで、流れが生まれます。しかし、「流す」と「流される」は違います。自ら選択し決断する行為が不可欠です。

 

自らの行動で流れを生み出すこと、すなわち「今、なすべきことをなす」ことが、「流す」ことです。目の前のことに集中し、今できることに全力で取り組むことです。しかし、現実は手が回らないことが多くて、それでも追い付かないことが多々あります。それでも、できる範囲でやりきれば、積み残しが出ても仕方ありません。「ページをめくる」ことに専念すれば、状況は絶えず変化していきます。

 

そして「行動」の原点は「与える」ことです。人の為に自らの命を使うことが、自分に戻り自らを輝かせることになります。「与える」連鎖が「循環」となります。

 

この世界のすべては循環しています。循環しないものはいずれ強制終了させられます。それは、発酵から腐敗に転じることでもあります。例えば、化石燃料など資源を消費するだけのエネルギー技術は循環しません。それは腐敗技術です。

 

自然界のすべては循環しますが、意識も循環します。意識の成長はいずれ元(原点)に戻ります。正確には循環ではなくスパイラルですね。いろんなことにチャレンジすることはとても大切ですが、いずれ基本が大切であることに気づきます。その基本の一つが日常です。日常の中に真の幸せがあります。

 

○バランスをとる(中庸)

 

プラスとマイナス、陰と陽などの相反する性質は、絶えずバランスをとっています。バランスが崩れると、それを戻す方向に力が働きます。例えば陽が強い環境においては、陰性の強い作物が育ち、秋(陰)になると実り(陽)ます。

 

バランスを崩そうと働きかける(作用)と、それに反発する力(反作用)が生まれます。バランスはバランスであり、「一定」であることとは違います。この世界のすべては振動して(ゆらいで)います。ゆらぐ(不安定だ)から戻そうという変化が生まれます。ゆらぎとバランスはセットです。

 

バランスの中心は、物理的な中心ではありません。両方の性質が同時に存在する点です。ゼロは「無い」のではなく、プラスとマイナスの両方の性質をもちます。無は有を含み、影は光によって生み出されます。片方だけでは存在しません。バランスの中心は中真であり中庸です。両方の性質を有し、全てがこの一点と繋がります。

 

全てと繋がる一点は「内」にあります。自分の意識を内に向けていくと、全ての答えはそこに有ります。そこと繋がれば、「全ての外」と繋がることも可能です。

答えを外に探しに行くと、中真から離れていくので、元に戻そうという力が働いて、心が苦しくなります。中真と繋がることでバランスが取れて、ゆらぎを楽しめる人生となります。

 

〇命の原点は矛盾点
 
この中真が矛盾点であり、命の原点です。命とはこの世界の存在全てを言います。
矛盾点とは、+と-、陰と陽、大と小、嬉しいと悲しい、有ると無い、生と死などの相反するものが結ばれるたった一点です。
どちらか一方では存在することができません、留めようとする力が反対の方に働くことによって存在出来ます。例えばボールを投げていつまでも落下せずに飛び続けるとその場から無くなってしまいます。これが素粒子レベルならバラバラになり存在出来ません。
このたった一点は相反するものが同時に存在しています。陰も陽も、喜びも悲しみ生も死もどちらも存在するため何もないように思えますが在ります。
そして全てが矛盾点から始まり引き戻され矛盾点に戻ってきます。
 
〇全ての本質は愛
 
この矛盾点には隔たりが有りません。善も悪も有りません。この命の原点の本質は愛だからです。愛の光は命を照らし影が出来ます。だから影は愛の光によって出来たもので元は愛の光です。
命の原点には隔たりが無く善も悪もなく、そしてたった1つの点なので孤独です。しかし全てと繋がっています。寂しくも無いのです。実は孤独は孤独では無いのです。
 
私たちは、全ての存在から「愛」を受け取り、「今」を生きています。

 

(「法則」終わり。)

 

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むすび通信130号(農哲2:法則①)

2015.7.17発信)

 

2章の最後に「法則」という節を追加しようと思います。ここまで書いてきたことの総まとめ(1章はまだ完成していませんが)として書いてみます。

 

○相似形

 

この世界では、いくつかのパターン(型)が様々な場所で繰り返し出現します。小スケールでみられる現象が大スケールでも見られたり、自然界で起きていることが人間社会でも起きていたり、見える世界のしくみが見えない世界のしくみと同じであったりします。

 

例えば、太陽の周りを地球が回っている姿と、核の周りを電子がまわっている姿が同じであったり、木の全体の姿と、一部の枝を拡大した姿が同じであったりといった現象です。そして、このような現象を「相似形」と呼びます。

 

私たちは日々の農作業(自然と向き合う行為)から、いくつかのパターン(型)が存在することに気づきます。そしてその「型」は自分の身体や意識を観察していても存在していることに気づきます。いくつかの型の存在に気づいて世の中の景色を見てみると、随所で型が崩れていることにも気づきます。すると、その景色が本来はどのような姿であるべきだったのかもわかるようになってきます。

 

「型」はこの世界の「法則」でもあります。法則を知っているか知らないか、法則に沿った生き方をするのかしないのか、この両者には大きな違いが生まれます。

 

私たちは科学者ではないので、本書で述べてきたことが、科学的にどこまで解明されていることなのかは知りません。あくまでも私たちが日々観察している型の延長線上に、そのような世界が見えるという話です。私たちは実際に体験しているので、その内容を確信していますが、やはり「信じられない」という要素が含まれているようにも思います。

 

信じられるかどうかは、皆さん一人ひとりが自分で体験する以外にないと思います。そして自然界を観察することが一番効果的だと思いますが、「自分」という人間を観察することでも型は見えてきます。そしてそれは様々な仕事を通じても観察できるはずです。是非、自らの体験を通じて、本書の内容を理解してもらえるよう願っています。

 

○シンプル(あるがまま)

 

どこに「型」が埋もれているかを探り当てるためには、考え方も含めて、シンプルにしていくことが大切です。シンプルにしていくためには、余計なモノの存在に気づき、それをそぎ落としていく必要があります。これが結構大変ではありますが、これが全てです。シンプルを極めればすべてがわかります。

 

自然界は、いつも「あるがまま」の姿に戻ろうとします。あるがまま=シンプルです。それは、庖丁を研ぐと切れ味が鋭くなるように、本来の資質がストレートに表に出てきます。私たちにとって、それはオンリーワンの個性です。シンプルを目指すだけで、勝手に個性が浮かび上がり、切れ味鋭い個性となります。個性が光りだすと、自分が進む道も目の前に広がり、ナニモノかに背中を押されて、前に進みます。

誰がどこでそんなシナリオを書いているのか知りませんが、全てが仕組まれているような感覚になり、自分のなすべきことがベストのタイミングで目の前に現れるようになります。

 

そのすべての基本が、日常生活をシンプルにすることです。早寝早起きをする/正しい呼吸をする/整理整頓をする、そんな行為の積み重ね(継続)が、自分の根っこを広げることになり、自分の本当の姿を知ることとなります。

 

(以下、続く。)

 

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むすび通信129号(農哲2:電子と発酵③)

2015.7.16発信)

 

○呼吸

 

土中で発酵と腐敗のどちらに偏るかは、電子がスムーズに流れ続けているかどうかが大きなポイントの一つとなります。

1章で述べた硬板層の存在は、エネルギーの流れを遮断するものです。そこでエネルギーや水の流れが遮断され、滞留するためにその空間が腐敗となります。そしてそこに根っこの先端が触れると、その植物は電子を奪われて弱ります。

硬板層を破壊するために微生物を投入します。彼らの活動で土を多孔質にしていきます。すると空気(酸素)もしっかりと行き届くようになります。嫌気性の微生物も存在しますが、概ね微生物の活動には酸素が必要です。酸素が十分満たされると、発酵も進みます。

 

体内の発酵をスムーズに行うためには、心の硬板層を取り除き、エネルギーの流れをスムーズにすることが大切ですが、人体においても酸素が必要です。

酸素は呼吸によって体内に取り込みますが、通常の呼吸では十分な酸素が取り込めている状態ではありません。それは呼吸が浅いからです。細胞の隅々まで酸素をいきわたらすためには深い呼吸が必要ですが、その為には肺の中の空気を「吐ききる」ことです。吐ききれば後は勝手に空気は入ってきます。呼吸は「吐いて吸う」のが基本です。吐ききることを一日に数回意識して実行するだけでも、体内の発酵を助けます。

 

○イヤシロチ

 

自然界には電子の流れが存在します。電子の流れは、縦横斜めと様々な方向に流れています。そして複数の流れが重なると、そこは電子圧が高くなります。そのような土地をイヤシロチと呼びます。そしてその逆がケガレチです。

電子の流れがどこに存在するかは、地形を見ているとおおよそ見当が付きます。遠景と近景に相似形の地形を見つけたら、その頂点どうしをむすぶ線が、電子の流れる道です。

 

その流れは昔より変わることがなく、イヤシロチには神社などが建てられました。そしてその周りの森は、社寺林として守られてきました。なので、自然界で電子が生み出される発酵活動も守られてきました。

 

しかし近年、私たちの多くは、神社は「神様にお願いをしに行く場所」という勘違いをしています。神様にお願いをするという行為は、お願いしたい悩み事が自分の外に存在し、同じく外に存在する神さまに、それを何とかしてくれと言っていることです。問題は自分の外で起っているという錯覚は、「我良し」そして「腐敗」へと通じます。

このような参拝をすると、神社のエネルギーを取り込み(消費し)、一時気分が良くなったような錯覚が起きますが、現実は何も変わっていません。そして大勢の人間がこのような参拝を繰り返すと、イヤシロチの電子はどんどん消費され、そこはいずれイヤシロチではなくなります。

 

本来、参拝とは感謝を奉納する行為でした。そこにお参りに来られたことや、今を生かされていることに感謝します。そして感謝の奉納は、自分が生み出した電子を奉納するという事です。そのことで、その神社の電位はさらに高まり、その神社が守る地域の電位も向上し、地域全体が活性化してきます。

そして奉納した電子はいずれ自分に帰ってきます。

 

電子を奪うか電子を放出するか、この二つの行為は、とても似ていますが、自分を生かすか殺すかというくらいの違いとなります。

 

○イヤシロチ農法

 

私たちが目指す農法は、微生物の力を借りて、畑全体をイヤシロチにしていこうというものです。しかし、そこでは作り手の意識がとても大きな役割を果たします。

 

人の意識が腸内の微生物に大きな影響を与えるように、作り手の意識は土中の微生物に大きな影響を与えます。そして、無事電子を生み出すような土中環境になったとしても、作り手が「我良し」な意識でいる限り、そこで生み出された電子は、作り手によって消費されてしまいます。

 

一方、作り手の意識が発酵(発光)している場合、作り手が生み出す電子も畑に放出され、その畑はイヤシロチへと変わっていきます。そしていつか、畑全体が光り輝くときが来る、そんな夢を持っています。

 

私たちの農法は、まず初めに、自分とどのように向き合い、自分の意識を正していけるか、それが大きな課題となります。

 

(「電子と発酵」終わり)

 

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むすび通信128号(農哲2:電子と発酵②)

2015.7.10発信)

 

○土中の電圧

 

物理的な方法で、電子を捕まえて土中に送り込むという事は、周辺のどこかで本来存在していた電子が奪われることになります。技術の使い方を一歩間違えると、大きなダメージをどこかに生み出します。

しかし発酵は電子を生み出す現象でした。私たちは、土中を発酵菌で満たすことによって、自ら電子を生み出します。

 

○栄養素の吸収

 

では、土中の電圧を高くすることが、どうして作物の育成に良い影響を与えるのでしょう。その答えが静電三法に書かれています。

土中に存在する栄養素を、植物は浸透圧によって根っこから吸収すると言っています。しかし静電三法では、電子が栄養素を運ぶと書いています。空間に電位差が生まれると、川の水のごとく、高きから低きへと電子が流れます。植物の根っこの先端は電位が低くなっています。周りの土中の電位が高いと、そこに電位差が生まれ電子が流れます。

陰イオンは、電子が栄養素を背負っているような状態です。ですから電子の流れと一緒に栄養素も流れていきます。栄養素は植物に取り込まれ、電子はそのまま上昇し、地上から放出されます。

 

電子は一か所にとどまることがありません。絶えず流れ続けています。これが生命の躍動でもあります。流れが止まると、そこは澱みます。

私たちの農法は、既に存在する電子の力を借りるのではなく、自ら発電し、新たに電子の流れを創り出そうというものです。

 

○発光

 

発酵と腐敗の違いについて話を戻します。発酵は電子を新たに生み出すものです。生み出された電子は外に向かって放出されます。そしてその放出は、他の発酵菌にバトンタッチしながらも継続されていきます。電子の放出はエネルギーの放出として観測されます。そしてそのエネルギーの本質は、生命・愛・光です。発酵が極まると発光します。

 

一方腐敗は、電子(エネルギー)を奪う行為です。それは消費であり、そこに存在するエネルギーしか消費することができず、消費し尽くすと周りのエネルギーをとりに行きます。エリアを広げていくことでしか、腐敗を継続させる方法がありません。

 

発酵は与える行為であり、腐敗は奪う行為です。与え続けるとそこはやがて光に包まれます。

 

○人体

 

人体の腸の中は、土中と同じ環境を有しています。様々な微生物が共生し、彼らの仕事をしています。そこには発酵菌も腐敗菌も存在します。そしてどちらの仕事が活性化するかは、人間の意識によって決まります。

 

発酵菌は高い(繊細な)波動を有しています。その波動は人間で言うと、愛や感謝といったポジティブな波動です。ですからその腸の持ち主である人間の意識が、愛や感謝といった高い波動を発すると、その波は発酵菌と共鳴します。共鳴はエネルギーの受け渡し(増幅)であり、発酵菌はパワーを得て彼らの仕事が活性化します。発酵菌の仕事が活性化してくると電子が生み出され、人体は高電圧となってきます。そして電子(エネルギー)の放出が始まります。

人体が高い電位を有していると、それがバリアーとなって、病気といった低いエネルギーの侵入が困難となります。なぜならエネルギーは高きから低きに流れるからです。

 

しかし、いつもポジティブな感情を持ち続けることは難しいことです。生きていく中で腹を立てたり憎んだりといった感情は生まれます。ネガティブな波動は腐敗菌と共鳴するので、腸の中は腐敗へと偏ります。人体の電子は消費され、電位が下がります。

 

しかしそれでいいのです。生きていくことは振動であり、様々な感情を経験するように仕込まれています。大切なのはネガティブな感情を発したその後です。その事実を受け入れ、そんな自分を許し、ネガティブな感情を飲み込んでポジティブなパワーに変えていきます。そのことでエネルギーはさらに高まります。

腐敗を自分の中で完結させることが大切です。

 

しかしそれができないと、自分の中のエネルギーを食べつくし、周りに新たなエネルギーを求めるようになります。周りの人のエネルギーまで吸い取ってはいけません。

 

(以下、続く。)

 

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むすび通信1100号のURLです。

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