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農哲副読本 農から学ぶ「私」の見つけ方(7)

○新たな心の硬盤層を創りださない

 

心の硬盤層は、外から取り入れた情報を手放せずに内に残してしまったために創られます。この社会で生きていくために、情報を取り入れることをやめることはできませんが、必要以上に取り入れないように注意する必要があります。特に外に答えを探しに行くという思考のクセはすぐにでも正したいところです。答えは外の世界にはありません。外の世界と向き合うのではなく自分の内面(中真)と向き合う、この自分の立ち位置を変えるだけで、見える世界は劇的に変わります。必要以上に外に何かを求めることはなくなり、余計な情報を取り込んでしまうリスクが小さくなります。

 

そして意識は絶えず「今」に集中させることです。今できること、今なすべきことに意識を集中し、それを実行します。実際に「今できること」以外のことは、何もできません。できないことを考えてもそれは思考に振り回されるだけで、エネルギーロスを生むだけです。心の硬盤層は過去の自分そのものです。「過去の自分」から解き放すには「今の自分」に集中することです。過去の自分にとらわれることが無くなれば、取り込んだ情報を手放すことも容易になります。今に集中することは今必要なものだけと向き合うことになり、必要ではなくなった時点で手放すことも容易となります。「過去の自分に縛られる」これも思考のクセの一つでした。このクセも正していきましょう。

 

○古い硬盤層を消す

 

長年積み重ねてきた硬盤層はエゴや見栄といった名前に代わって私たちの内部にへばりついており、今の意識を変えても簡単に取り除くことはできません。エゴや見栄といえば、何とかなりそうな感じもしますが、常識や知識も同類です。これを手放せと言われても、そんなことはできるわけがないとも思ってしまいます。

「古い硬盤層を消す」とは、その下に隠れている「本来(あるがまま)の自分」を見つけることであり、「今の自分」を変えることになるのですが、自分を変えなければ!と思い詰めてもいけません。

自分を変えることは実はとても楽しい作業なのです。ですから消せるところから消せばいいし、消せなければそれでも良いと、まずは思っておきましょう。「なんとかしなければ」と思ってしまうとすぐに思考の罠にはまります。

自分を変えようと思うと、変えた後の未来の姿を考えてしまいます。しかしその姿も思考によって創りだされたもので、本来の自分ではないのです。ですから過去の自分に縛られてはいけないと述べましたが、未来の自分に縛られてもいけません。過去も未来も思考が創りだしたものであり、現実は「今」しか存在しません。今に意識を集中させることは、思考のコントロールから自らを開放することです。

 

今なすべきことをやりきったら、あとは天に委ねる。

この感覚を自分の中にしっかりと育てていきましょう。そうすれば思考のクセも少しずつ消していけます。

 

○北風と太陽に学ぶ

 

そうはいっても、「こんな自分は嫌だ!」と強く思っている人がいたなら、「あとは天に委ねる」なんて悠長なことは言っていられません。「消せなければ(変わらなければ)それでも良い」なんて論外です。

でも、自分を変える魔法なんてありません。今の自分にできることは、「今できることをやりきる」以外には何もないのです。今できることに継続して取り組むことが大前提となりますが、その成果を最大限に引き出せる方法が、やりきっても「消せなければ(変わらなければ)それでも良い」という気持ちの持ち方なのです。

それは「こんな自分は嫌だ!」と思っている「今の自分」を受け入れることでもあります。今の自分は過去の自分によって創られてきました。ですから今の自分を受け入れることは、過去の自分を受け入れることです。それは自分と正面から向き合うことで、それは外に逃げないで内と向き合うことです。

 

「北風と太陽」というお話があります。北風は力づくで旅人のコートを脱がせようとしましたが失敗しました。でも太陽は、暖かい陽射しを降り注ぐことで、コートを着たままでもいいし(変わらなくてもいいし)、脱いでもいいよ(変わってもいいよ)という選択を旅人に委ねたのです。そして旅人は自らの意思でコートを脱ぎました。

今の自分を受け入れて、「このままでいいよ」と思ってあげることは、このままでもいいし、どこに向かってもいいという「フリーな状態」を自分の中に創りだしてあげることです。そして、このままで良いと思える心境になれたら、すでにあなたはもう変わっています。

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