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農哲副読本 農から学ぶ「私」の見つけ方(3)

○味の実験

調査に協力してくれたのは

 ・小学校低学年

 ・その親世代(概ね30代)

 ・その祖父母世代(概ね60代)

で各十数名の人に食べ比べていただきました。そしてその結果は見事に異なりました。

60歳代の人たちはほとんどがAのみかんが美味しいといいました。そして30歳代の親世代はほとんどがBのみかんを選びました。そして小学生低学年の答えは、真っ二つに割れました。半数がAと答え、半数がBと答えたのです。

私は前職で様々な調査にも取り組んできましたが、世代の違いで回答がこんなに異なる調査を経験したことがありません。

さらにその理由も聞いてみました。

60歳代の人たちは「Aのみかんは昔食べたみかんの味だ。今の時代でこの味のみかんを食べられるなんて感動した。嬉しい。」と言ってくれました。そして30歳代の親世代は「Bのみかんは甘いから美味しい」と答えました。そして子供たちですが、Bを選んだ子供たちは親と同じように「甘いから美味しい」と答えました。そしてAを選んだ子供たちは、「美味しいから美味しい」と答えたのです。

「美味しいから美味しい」って素晴らしい回答だと思いませんか。『美味しさに理由なんかないでしょ。ただただ美味しいから美味しいのです。』子供たちにそんな風にしかられたように感じました。そうか、本物の美味しさには理由など不要なのだ。そしてそこにこそ大切な秘密が隠れている。

ちなみに調査に使用したみかんの素性ですが、どちらも品種は同じで、Bは消費者が好むといわれている酸が低くて糖が高い慣行農栽培(農薬を使用した通常の栽培)のみかんで、Aは自然農栽培のみかんです。

 

 

みかんの味については前作(P45~)でも取り上げているので詳しくはそちらを読んでいただくとして、結論のみ述べると、みかんの味は酸と糖の二つだけで作られているのではなく、ビタミンやミネラルといった微量栄養素も含めたバランスによって作られます。「甘いだけ」という言葉がありますが、それはそこに糖はあるがそれ以外の栄養素が失われている味です。そして他の栄養素までしっかりと詰まった本物の美味しさを目指すには、自然農という栽培方法でしかその味を実現できなかったのが、私が自然農栽培に取り組んでいる理由です。

 

○美味しさの秘密

 

「美味しいから美味しい」の秘密を探るために、私たちはどんな時に美味しいと感じるかを考えてみます。

例えば、高級レストランで数万円もするコース料理をいただいているとき、これは絶対に美味しい!と思っているはずです。あるいは1時間以上並んでやっとありつけたラーメンも美味しいと感じるでしょう。おふくろの味やふるさとの味も美味しいですね。さらには過去に美味しいと判定したあの時の味と似ているとか、私たちには美味しさのデータベースが脳の中に構築されていて、舌から受ける刺激とそのデータベースと照合しながら、美味しいかどうかを判定しているように思います。

先の調査結果に戻るなら、60歳代の人々がAを美味しいといったのは、懐かしい記憶とつながって味に付加価値がついたからでしょう。そしてBが美味しいと答えた人たちは、「甘いみかん=美味しい」という脳のデータベースが判定したのではないでしょうか。

では「美味しいから美味しい」という美味しさはどこから来るのでしょうか。

 

私たちは普段から様々なストレスを感じており、そのストレスから身を守るために免疫機能が発動されます。この免疫機能は複数の栄養素のチームプレイによって発揮されますが、その時栄養素が消費されているのです。そして複数の栄養素の一つでも欠けているとその免疫機能は発揮されず、身体がダメージを受けます。

体内に存在する栄養素は絶えず変化し、バランスを崩します。しかし微量栄養素の多くは体内で生産することができず、食事として口から取り入れなければなりません。体内に不足している栄養素を補うために、「無性に○○が食べたくなった」という感覚はだれもが体験しているのではないでしょうか。

すなわち、不足している栄養素を含む栄養バランスが整った食事を口にした時、身体(細胞)は「これが欲しかった!」と喜ぶのです。それが「美味しい」という感情となって表に現れます。

 

しかしこの「美味しい」感覚を日常において感じることは意外と難しいのです。食べ物を口にした時、舌が受け取る刺激(味覚)がまず優先されます。そして脳のデータベースと照合し、その味の評価を下します。Bのみかんは甘いから美味しいと感じたのはこのためです。

しかし、食べ物が口から消えた(舌で感じる美味しさから解放された)時、身体の奥の方から湧き上がってくる感情に気づくことがあります。私の場合、それは暖かい陽だまりにいるような、やさしい甘さに包まれたとても幸せな感覚でした。これこそが本当の美味しさであり、身体からのアリガトウのメッセージであると感じます。 (以下、続く)

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