生ききる(母:森幸子に奉げる)
「オートマティックな人生を歩みたい」それが私の願いである。志を持ちつつも、普段はそれを忘れて目の前のことに全力で取り組む。すると次に取り組むべきことが自動的に目の前に降りてきて、それに取り組む。その結果最短コースで志が現実となっている。「今」に集中することでロスが消え、完璧な状態が生まれる。そんな生き方を母から学んだ。
母の人生は波乱万丈であった。負けず嫌いの母は人の何倍も働いた。大病にも何度も襲われたが、その都度奇跡のように生還した。人は「気力で生きる人」と呼んだ。
昨年、「父を家で見送る」という願いをかなえた。今年は、自分の手で父の一周忌と初盆を挙げてあげたいという願いもかなった。そのころから急に衰弱していった。
9月に入り栗の収穫で忙しくなると、「忙しいときには逝けんな」といい、「次にみかんの収穫が始まるからまだまだ逝けんよ」と答えた。10月には米寿を祝う会を持ち、遠方から孫たちも集まった。会いたい人たちと祝いの花束に囲まれ、母は昏睡状態となった。二日後、私と妻が母を囲み、少しずつ弱まる息を感じながら、思い出話をし、母の息子でいられたことに心から感謝し、あなたのことが大好きだと伝えた時、それまで反応のなかった母の眼に一粒の涙が溢れ静かに息を引き取った。栗の収穫が終わり、みかんの収穫が始まる一瞬のすきを母につかれた。そこに悲しみはなかった。
母のような逝(生)き方をしたい。
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