農哲副読本 農から学ぶ「私」の見つけ方(12)

7.今生で何を目指すか

 ここまでお話ししてきたことは、実はとてもシンプルです。

・外の世界に答えを求めるのではなく、内に意識を向けよう(中真とつながる)

・過去や未来にとらわれず、今に集中しよう(今、が全て)

・今できることをやりきろう(行動する)

これだけのことをやりきれば、あるがままの自分へと変化していきます。

ではあるがままの自分とはいったい何者でしょうか。

私たちの実践する農法は、あるがままのみかん・あるがままの作物を目指したものです。決して特別な農法で特別な作物を目指しているわけではありません。本来その作物が持っている特徴を100%引き出してあげることです。あるがままの自分とは、自分の個性が100%発揮されている状態です。するとオートマティックな人生を歩み始めます。

自然界では絶えずエネルギーが流れ続け循環しています。そしてどこかでエネルギーの流れがせき止められると、バランスが崩れさまざまな障害を引き起こします。硬盤層はエネルギーをせき止める壁でした。これを取り除くことで本来の流れを取り戻します。

オートマティックな人生はエネルギーが絶え間なく流れ続けている状態です。ですから、今なすべきことをやりきると、次に新たなエネルギーが流れ込んできます。今なすべきことがエンドレスでやってきます。すること(仕事)はどんどん大きくなっていきますが、ストレスフリーとなるので結構楽です。しかし、自分の意志で取り組んでいるのかどうかがわからなくなる時もあり、大いなる存在の操り人形になっているような感覚もあります。

このような状態になると夢は勝手に実現していくとも述べました。しかし皆さんが思い浮かべる夢はいったいどんな夢でしょう。有名人になりたい・お金持ちになりたい といった夢かもしれません。であるなら必ずしも実現しない夢もあります。

例えば「お金持ちになりたい」というケースを考えます。お金の動きもエネルギーです。ですからスムーズにエネルギーが流れていれば、必要なお金も集まってきて、お金に困ることはなくなっていきます。しかし、必要以上のお金が流れてくることもありません。ですからお金持ちにはなれません。お金は「持つ」ものではなく「流す」ものです。そして流す先(使い道)に注意すれば、それは必ず帰ってきます。

 

このような人生を平凡と感じるか、エキサイティングと感じるかは人それぞれです。せっかく生まれてきたのだから、もっと野心的なことにチャレンジしたいと思ったらそれもまた人生です。魂は経験することを望んでいるので、そういうチャレンジも大歓迎です。しかし、エネルギーの流れを操作する側面があるので、そこには課題もセットでやってくることを覚悟しましょう。

そして自分の魂に傷をつけるようなチャレンジだけはしないようにしましょう。

作物は食べられることで自分の使命を果たすように、自然界では、すべての生命は他の生命に貢献するために生きています。命のバトンこそがすべての生命が生まれる唯一の理由です。人間も、その法則に逆らうことだけはしてはいけません。

自らの内面と向き合い、内から外にエネルギーを放出する、周りにエネルギーを分け与える、そんな生き方を目指してください。発酵モデルで人生を歩めば、どんな野心的な夢であってもいずれ実現する時が来ます。しかし周りからエネルギーを奪う行為は魂を傷つけます。それは腐敗モデルです。腐敗モデルは絶えず拡大していかないといけないので、必ず終わりが来ます。そこまで進むと滅亡しかないのです。

○地球を救う

私は農業を始めて10年になります。畑の草を刈り続けると植生は徐々に変化していきます(前作P17~)。しかし、数年前から草の様子が一変しました。「草が暴れる」ようになったのです。以前の草が突然復活したり、全く見たことのない草が生えてきたり、草を何度刈ってもすぐに成長したりといった現象が起こるようになりました。

これまでとは異なるエネルギーが地球から放出され、それに反応しているように感じます。その現象は自然災害等の異常気象が頻繁に発生してきた時期と重なります。自然災害等の発生は、地球規模でのバランスが崩れそれをとり戻すために起こっています。そしてバランスを崩したのは人類です。今起きている自然災害は天災ではなく人災です。

今日の社会は「マクロ経済」など、「マクロ○○」と呼ばれるモデルが基本となっています。この「マクロ」が曲者で、規模を拡大して成立するモデルは腐敗モデルです。限界まで進むとあとは滅亡しかないモデルなのです。大きくバランスを崩して元に戻れなくなったものは、自然界では存在そのものを消し去ろうとします。過去の文明はこの法則によって滅びてきました。そして今、私たちにもその現実が目前に迫っています。

では、どうしたら回避できるのでしょうか。

私たちは必死にその答えを探していますが、政治家も科学者も思考ではその答えを見いだせずにいます。また答えが見つかったとしてもそれを実践するだけの時間は残っていません。

唯一残された選択肢は、個人の場合と同じで、人類も中真とつながることでバランスを整えていくことです。それは腐敗モデルから発酵モデルに一気に転換することです。

ではその時、私たちに何ができるのでしょう。やはり「今なすべきことをなす」しかありません。ひとりひとりがあるがままの自分を発見して自分の個性を光らせることしかないのです。でも、ひとりひとりから放出された個性の光は他の光と共鳴して、光の強さを増します。出会うべき人は共鳴し合って勝手に引き寄せられていきます。そしてチームプレイで発酵を始めるのです。発酵はチームプレイで行われます。しかし個々の菌は自分の仕事をひたすら遂行するだけです。

夢のところで野心も良し!と述べましたが、実は私にもちっぽけな野心があります。それは「私がこの世界を救うのだ!」という野心です(笑)。でも今の私にできることは、あるがままのみかんを育て、そこで学んだことを文章に起こし、みかんとメッセージをセットにしてひとりでも多くの人のもとに届けることです。

みかんひとつはとてもちっぽけですが、みかんの味の違いが感じられるようになると、他の食べ物の味の違いも感じられるようになります。そして食に対する意識が変わると生活の意識も変わり、今まで見えていた世界の景色も変わります。

たった一個のみかんが引き金となって一人の人間の意識が変わり、地域が変わり、日本が変わり、世界が変わる。それが私の夢です。そのために今の私ができることは日々畑と向き合うことです。そしてこのような活動を続けていくことで、同じ野心を持つ多くの人たちとの出会いが生まれています。ひとつひとつの小さな渦が統合して大きな渦に成長していく可能性を感じています。

しかし、ひとつひとつの小さな渦(エネルギー)が周りの人々も巻き込んで統合させていくためには、共鳴という現象を起こさなければなりません。

今の自分とRさんを結ぶために感情というコミュニケーションツールを活用したように、異なる意識を共鳴させるためにもやはりコミュニケーションツールが必要なのです。

私は「農哲」こそがそのツールとなりえると信じています。

ですから決して精神論や概念論ではなく、「科学的」な表現を用いることに留意しています。そして「農体験」をそのベースにおいています。それはだれもが体験可能なフィールドだからです。

前作やこの冊子がひとりでも多くの人の手に渡ることを願っていますし、この冊子を手にした皆様にも是非一緒に歩んでいただければと思います。「あなた」とともに、この世界を変えていけることを願います。

難しいことではありません。あなた自身がワクワクする人生を歩んでくれればよいのですから。

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農哲副読本 農から学ぶ「私」の見つけ方(11)

6.知識と知恵

話を戻し、「教わった通りに実践している」ことがどうして悪いのかもう一度考えてみましょう。どうして知識が私たちの足を引っ張るのかも不思議です。ここでは、外に学び内に取り入れた情報を「知識」、内なる中真から引き出した情報を「知恵」と呼ぶこととします。両者はとてもよく似ていて、活字にすると区別がつきません。しかしその本質は大きく異なります。

知識も最初は誰かの知恵としてこの世に生み出されました。そしてそれを生み出したプロセスは忘れ去られ、その結果だけが広がります。自然農のところでお話ししたタブーも大切な情報です。きっとそれを実行すると失敗するので、タブーとして知識が引き継がれてきました。しかし失敗の経験は忘れ去られています。ですからその知識を応用できません。

だったら、その失敗を自ら体験すればいいのです。失敗するのがわかっていて実行するバカはいない!かもしれません。でもその先に進みたいのであれば、やはりチャレンジするべきです。

○タブー

例えば「土は耕すな」というタブーには理由があります。土の中は人間の内臓と同じ役割をしています。土の表面は胃の枠割を担い、土中は腸です。そして深さによって小腸から大腸へと役割は変化します。土の中には秩序があります。それを無視して土中深くに生のモノ(草など)がすき込まれると、胃で処理(分解)されずに未消化のものがいきなり大腸に送り込まれるようなものです。それは本来「そこにはあってはならないモノ」となるので、それを消し去ろうと自然界は虫や菌を送り込み病気が発生します。

このタブーが生み出された本当の理由は知りませんが、このような失敗体験がその裏に隠されていたとして、この失敗を体験することで「土は耕すな」という知識は「土中の秩序は乱すな」という知恵へと進化(深化)します。すると目的に応じて、浅く耕そうとか、耕す前に表面の草は取り除こうといった応用がきくようになります。

知識そのものは何も悪くありません。知識ととことん向き合えば、それは知恵へと生まれ変わります。

○知識の暴走

しかし知識ばかりをため込んで心の表層を固めていくと、それが硬盤層となるのです。そういう人は自分の内に築いた知識が正義となるので、それと異なる意見は受け入れられなくなります。受け入れないだけならまだよいのですが、あなたが間違っている!と攻撃します。ため込んだ知識が人格を持ち、自分を守るために暴れているように感じます。

でもそれは本当のあなたではありません。あなたは本当は優しい人です。知識という怪獣に飲み込まれてはいけません。

他人の言葉が内に入ってこないのは、そこがすでに不要な知識で埋め尽くされてその余地がないからです。本当の自分を取り戻すために心の中にスペースを作りましょう。リリースする(手放す)のです。最初は小さなことから始めればいいです。そして小さなスペースが生まれれば、そこに新たなエネルギーが入ってきます。すると硬盤層が緩んでくるので手放すこともたやすくなってきます。

自分にとってとても大切だと思う知識も手放します。そこに例外を作ってはいけません。本当は不要な知識でも、どこかで必要だと思っていたから手放せなかったのです。ですから例外なくすべてを手放すと覚悟しましょう。怖いですか。怖いと思います。でも大丈夫です。その知識があなたの中に入ったという痕跡は残るので、あなたにとって本当に必要な知識ならば、必要になった時に知恵となってあなたの中によみがえります。人間の可能性は無限です。あなたの無限の可能性を信じましょう。

ところで常識も硬盤層の一部だと述べたのですが、知識と同様の側面を持っています。常識そのものは決して悪いものではないのです。自分の行動を律するために必要です。しかし常識を外に向けてはいけないのです。外に向けると比較します。常識の外に非常識という世界を作ります。そしてあなたは非常識だと他人を攻撃してしまうのです。

常識も知識も自らのために活用するものであって、外に向けてはいけません。

 

○二人の指導者

 

さてここでクイズを出します。

二人の指導者がいます。二人とも語っている内容はほぼ同じで、それは真理に基づいた正しい内容だとします。しかし一人は知識を語り、もう一人は知恵を語っています。この二人はどのような行動に違いが出てくるでしょう。そして誰もがこの二人を見分けることができるのですがその方法とは何でしょう。

二つ目の答えから見てみましょう。例えば二人にこんな質問をしてみます。「あなたの語る内容にとても感銘しました。私はあなたを信じてよいでしょうか。」なんか宗教みたいになってきました~~(笑)。

さて知識を語る人は「もちろん私を信じてください!」と答えるでしょう。しかし、知恵を語る人は決してそのような答えはしません。もしかしたら「わたしを信じてはいけません」と答えるかもしれません。なぜなら、その人の語る知恵は、聞く人にとっては知識でしかないことを知っているからです。知恵と知識の違いを認識しています。自分にとっての知恵は自分で見つけるしかないので、真の指導者は「わたしを踏み台にして前に進みなさい!」というと思います。ですから一つ目の答えは、指導する対象を自分の後ろに位置づけて自ら先頭に立って彼らを引っ張っていこうとするか、自分の横に同列に位置づけ自分の前に出ていくのを助けようとするかの違いです。

 

正しいことを語っていても、それはその人が真の指導者であることを証明することにはなりません。でも真の指導者でないからと言ってその人が偽物だということでもないのです。ややこしいですね。人は絶えず変化します。人は知識を語ることから始めるので、だれもが通る道なのです。ただ未熟であるだけです。未熟は偽物ではありません。ですから自分が未熟であることに気づきそれを受け入れていれば、知識を語ることに問題はありません。しかし未熟である自分を受け入れず知識を振りまわす人は偽物です。

あなたは周りの人から、先生とか知識人とか呼ばれていませんか。それは必ずしもほめ言葉とは限りませんので注意しましょうね。

知識と知恵の違いを理解することはとても大切です。そしてここでつまずいている人がとても多いのです。その結果自分が苦しむのは仕方ないことです。しかしそういう人は周りを巻き込んでしまいます。

知識そのものは中立です。善悪はありません。その知識が呼び水となって、中真から知恵というエネルギーを放出する発酵モデルに進むのか、知識を振りかざし周りからエネルギーを奪い取る腐敗モデルへと進むのかは、あなた次第です。

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農哲副読本 農から学ぶ「私」の見つけ方(10)

5.事例で考える

 

 

ここまで自分を変える方法を述べてきましたが、全体的に抽象的な表現が多く、ピンと来ないかもしれません。事例を紹介しながら復習してみましょう。

 

○自然農での失敗

私たちが実践する自然農の注目が高まり、多くの若者が自然農の世界に飛び込んできてくれるようになってきました。それはとてもうれしいことですが、その一方で多くの若者が挫折も味わっています。自然農を学んだりサポートしてくれる環境も整ってきました。ですから始めるときのハードルは低くなってきています。

しかし、始めた時はうまくいったのに、徐々に厳しい現実が現れてきます。うまく作物が出来なくなった・一向に収量が増えていかない・病気や害虫で作物が全滅してしまった など様々な試練がやってきます。

最初に教わった通りに実践しているのにどうしてうまくいかなくなるのか。いったいどうしてよいのか途方に暮れます。

自然農に取り組んでいる人たちと話をすると、「○○してはいけない」という話をよく耳にします。肥料を入れてはいけない・耕してはいけない などです。しかし、そのようなタブーを設けていくことが自然農なのでしょうか。自然農はマニュアルで行うものでしょうか。

世の中に伝わる自然農法は「誰か」の成功事例でしかありません。しかし畑の環境は多種多様です。教わった通りに実践することは、誰かの人生をなどっているだけです。自分は自分の人生を歩まなければなりません。そのためには、あなた自身が畑と向き合い、作物の声を聴いて、今なすことを自分で決断して実践していくべきなのです。

失敗する一番の理由は「教わった通りに実践している」ことなのです。

教わったこととは外から取り入れた知識です。その知識は始めるときには重要でした。何も知らない世界、それは真っ暗闇の中に放り出された世界でもあります。そこをいきなり歩けと言われてもとても怖くて最初の一歩が踏み出せません。ですから外から知識を取り入れ、足元に薄明かりを照らします。だから歩き始めることが出来ました。

しかし、一歩を踏み出した後は、その知識は硬盤層に変わっていくのです。自分が畑と向き合い、畑からのメッセージを受け取ろうと思っても、その邪魔をするのです。

 

○作物の声を聴く

畑のメッセージに耳を傾け、今作物が何を求めているかを感じ、今なすべきことに意識を集中させてそれを成し遂げる。これが自然農の基本です。行動にタブーを創らず、自分が感じたことを信じて、柔軟に対応していきます。自然農とはどこかに書かれた自然農法を実践することではなく、農と自然体で向き合うことです。

 

では作物の声はどうやって聴くのでしょう。作物を観察していると、葉っぱが萎れている・色が少し変・虫に食われている・成長が遅い などいろんな情報が得られます。おなかがすいていると言われたら、ご飯をあげるべきなのです。今何をするべきかは、外のマニュアルに求めるのではなく、その答えは自分の中(中真)から引き出さなければならなりません。「○○してはいけない」というタブーがあると、答えにふたをしてしまって、本当の答えを引き出せません。

自然界は、すべてをバランスが整った方向に導こうとします。その答えはすでにあります。そして中真はそれを知っています。すべての答えは自分の内(中真)にあります。しかしその答えに気づくのを邪魔しているのが「思考」です。

 

ちなみに、この時自分が出した答えが間違っているかもしれないという不安に襲われることがあります。農業の場合、それが正しかったかどうかはいずれ答えが出ます。しかし、答えが出るのに時間がかかる場合もあります。

そんなときは、今できることを行動に移して、心の内の感情の揺らぎを観察します。今なすべきことをやりきっても、まだ心にモヤモヤを感じるなら、まだ何かやるべきことが残っています。そして心がスッキリとした感覚になったら、できることはやりきったというサインです。

しかしそれは、結果を保証するものではありません。特に農業は災害等で一夜にしてすべてを失うようなことも起こります。でもなすべきことをしていたのなら、それも仕方ないと受け流せる強さが身につくのです。

今なすべきことをやりきるというのは、その結果がどのようになってもすべてを受け入れる強い自分を育てることです。

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農哲副読本 農から学ぶ「私」の見つけ方(9)

4.あるがままの自分

 

 

 

○夢を実現する

 

そうはいっても自分がどの方向に向かって進んでいるのかがわからないと不安です。自分の夢を実現する方法を考えてみましょう。

まずはなりたい自分を描きます。この時、「なりたい自分=あるがままの自分」であるかどうかはわかりません。でもこの段階では気にする必要がありません。自信がないから決められないという人もいます。でも決めることが大切です。決めれば進むべき方向や今取り組むべき行動が見えてきます。そして最初の一歩を踏み出します。行動に移さないとわからないことがいっぱいあります。行動して間違ったと気付けば直せばいいだけです。

プランニング(計画づくり)では、なりたい自分をビジョンと呼びます。そして次にシナリオを描けと教わります。シナリオとは、ビジョン(ゴール)に向かって進むべき道筋のことです。組織など複数の人間で仕事をする場合はこのシナリオは必要ですが、個人の人生においてはシナリオを描く必要はありません。シナリオは思考によって創られます。思考にコントロールされ、あなたは思考が描く道しか進むことができません。人間の可能性は思考を超えたところにあります。進むべき道筋は多数あります。どの道を進むべきは自分を信じて委ねるのです。

またビジョン(なりたい自分)も、進むべき方向とそちらに向かって最初の一歩を踏み出すために必要ですが、実際に動き始めたら「なりたい自分」も手放し(忘れ)ましょう。いつまでもゴールを意識していると、今がおろそかになるとともに、次になすべき行動の選択で間違います。「なりたい自分」の正体は未来という名の思考なのです。

自分(の内面)と向き合い、今に意識を集中し、今なすべきことをやりきります。

私たちにできることはこれしかなく、これが全てです。

次のことが不安になるかも知れませんが、それは今に集中できていない証拠です。不安という波を起こしている正体を探りましょう。その正体がわかり、そちらの方が重要と感じたら、今なすべきことをそちらに切り替えればいいのです。

人は実際に行動に移すことで、Rさんはメッセージ(感情)を発してくれます。車のナビは車を動かすまで何も反応してくれません。車が動き出すとナビも動きます。そしてあなたが動き出したら、Rさんからのメッセージを受け取りながら必要に応じて修正を加えていきます。そして今なすべきことをやりきったら、次になすべきことが自動的に目の前に現れてきます。これはとれも不思議ですが必ずそうなります。それを信じて今に集中し続けましょう。そして最終的にはワクワク感が内面から自然に湧き上がってくる状態を目指します。すると、当初思い描いた「なりたい自分」は既に達成されているか、そのはるか先を進んでいることに気づきます。

さてワクワク感ですが、仲の良い友達と遊んでいるときや大好きなカラオケを歌っているときなどに感じる「楽しい」感覚とは違います。この感覚はその行動が終わるとともに消えていきますが、内面から湧き上がるワクワク感はいつまでも余韻として続きます。美味しさには舌の刺激によって脳が判断する美味しさと細胞が喜ぶ美味しさがあると述べました。この両者の違いと同類です。そしてこの本物のワクワク感を感じることができる自分になることが、本当のゴールです。

 

○待つ

 

今なすべきことをやりきった。そしてそれを続けている。でも自分は一向に変わらない。そういう不安に襲われる方もいると思います。

今なすべきことをやりきったら、あとは天に委ねましょう、と述べました。そして変わらなければ「このままでいいよ」と思いましょう、とも述べました。でも、変わりたいと思う気持ちも大切です。変わるために「待つ」お話をします。

 

美味しいみかんのお話をしました。そのためにあるがままのみかん作りを目指していますが、様々な農作業を行った後、最後のポイントとなるのが「待つ」ことです。みかんなどの果物は、木成で完熟させると一番美味しい状態となります。ですから収穫時期をギリギリのタイミングまで見定めて収穫します。時期が多少遅くなってもそれほど問題はありませんが、早く収穫してしまうとその実は未熟で持っているもののすべてを出し切ることができません。

ところで慣行農で栽培したみかんは、「待つ」ことができません。ギリギリまで収穫を待つと、浮皮などの果皮障害や過熟して腐りやすくなるといった被害が出ます。ですから早目の収穫を行い出荷します。

慣行農のみかんがなぜ待てないかというと、栄養素のバランスが崩れているからです。バランスが崩れているとどこかに被害が出やすくなります。ちなみに収穫してすぐ出荷するみかんならバランスの崩れはそれほど気になりませんが、収穫してから1~2か月貯蔵してから出荷する「蔵出しみかん」は、貯蔵中にみかんを腐らせてしまうと話にならないので、できる限り腐りにくいみかんづくりに心がけます。肥料を工夫したり液肥を散布したりといった取り組みによって栄養素のバランスを整えていくのですが、それでも限界がありみかんを腐らせてしまいます。しかし自然農のみかんはほとんど腐りません(生傷等がついていると腐ります)。栄養素のバランスが崩れた行先は「腐る」のです。

 

今なすべきことをし続けても自分に変化が現れないときは、焦らず待つことが大切です。行動と結果の間には「熟す」ための時間差が生まれることがあります。待つことは何もしないということではなく、今なすべきことの行動(選択枝)のひとつなのです。

実はあるがままの自分になるということは、「なりたい自分」へと自分を変化させることではありません。形として表に現れる変化にはあまり意味はないのです。あなたの内面が変化することこそが重要です。「待てない自分」から「待てる自分」に変わることこそがあるがままの自分になることです。今なすべきことをしたからといってその結果に意味はありません。「すべての結果を受け入れる」という自分になったとき、あなたは既にあるがままの自分になっています。

 

今なすべきことをし続けても結果が現れないことに不安を抱くとき、あなたの内面のバランスがまだ整っていないことを教えてくれています。ですからもう一度内面のバランスを整えることに意識を集中させましょう。基本動作に立ち戻ることが結局一番の早道となります。焦ることはありません。ひとつひとつの行動の積み重ねが、あなたの内面を確実に変えていってくれます。

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農哲副読本 農から学ぶ「私」の見つけ方(8)

○自分を知る

 

今の自分を受け入れるには、「自分は何者か」を知ることでもあります。自分のことはよく知っている・・かもしれませんが、本当ですか。

自分を知るためには、まずあなた自身が創りだした「独自の世界(硬盤層)」の存在を知り、その姿を知ることです。そのために、あなたの「怒り」はどこから来るのかを考えてみましょう。あなたを怒らせているのは外の「何か」であって、自分のせいではありません。確かに、自分が怒っている現象は「外」で起こっていますね。でも、それを受け止めて自分の中に怒りを生みだしたのはあなた自身です。

外で発生した怒りの波動と同じ波動を自らの内に有する時、それらは共鳴して、怒りの感情が生まれます。

内に有する怒りの波動は心の硬盤層の中に有しています。ですからさまざまな感情が湧き起こった時が、自分を知るチャンスでもあります。その感情が沸き起こった原因を自分の中に探します。そしてその存在に気づいたら、そういう自分を受け入れます。その感情の原因は、過去の自分が取り込んでいたモノです。その存在を受け入れることで、手放すことが可能となります。そして硬盤層の一部が消えていきます。

感情が動く-原因に気付く-自分を受け入れる(許す)-硬盤層が消える

という関係を見つけた時、私はとても興奮しました。

そしてネガティブな感情が湧きあがった時、まるでゲームを楽しむような感覚で、心の硬盤層を消していきました。

しばらくそれを続けると、周りの出来事に対して感情が動くことが少なくなってきました。するとストレスも小さくなってきて、楽に生きていけるようになってきました。

しかし何かが変なのです。シーンとしていてちっとも楽しくありません。楽ではあっても楽しくないのです。むしろむなしくなってきました。人間が生きていくうえで喜怒哀楽といった感情はやはり必要なのです。心の硬盤層を消すという行為は、中真とつながるための手段であり、決して目的ではありません。消した後に何をするかが大切だったのです。

ネガティブな感情が小さくなったのなら、ポジティブな感情を大きくしてあげればいいのです。そのためにも本当(あるがまま)の自分の姿を知る必要があります。自分を知るとは、硬盤層に覆われた今の自分の状態を知り、その奥に隠れている本来の自分を知ることです。

 

○中真からのメッセージを受け取る

 

「本来(あるがまま)の自分」を「Rさん」と呼ぶこととします。Rさんは生まれた時から中真に存在しています。Rさんはいつも今の自分に話しかけていますが、硬盤層があるときはそのメッセージを受け取ることが出来なくなっていました。でも硬盤層が消えた今は、また会話が再開できるようになっています。しかし、Rさんは言葉で話しかけてはくれないのです。Rさんと会話するにはコミュニケーションツールを身に付けなければなりません。

時には「ひらめき」として直接メッセージを受け取るときがあります。しかしこの方法は常に使えるわけではありません。普段は感情を使って話しかけてきます。自分の感情が常にどのような状態にあるかを意識して観察してください。モヤモヤする・イライラする・ワクワクする・穏やかで透き通っている など、それぞれ自分の言葉で自分の内面を表現できる言葉を見つけてください。次第にどのような感情が自分に何を語りかけているのかがわかるようになってきます。おおむねネガティブな感情は自分の中に改善するべきポイントがあることを教えてくれ、ポジティブな感情は進むべき方向が間違いないことを教えてくれています。

しかしその前に、内に向けた自分のアンテナの感度を上げていく必要があります。感情を波でたとえるなら、海がなぎでとても静かな状態を心の中に創りだすことです。いろんな波で荒れている状況だと、どんな波が今打ち寄せているのか判断できません。そして「なぎ」は自分の姿勢を正すことで創りだせます。見た目の姿勢を正すこともそうですが、日々の生活を規則正しく過ごすことです。早寝早起きや整理整頓、掃除や日々の仕事を丁寧に積み上げていくことです。生活の基本動作を続けることは意外と辛いものです。今までおろそかにしていたことは特にそうです。それでも続けていると、その辛さが消えてゆきます。自分にとってその動作が当たり前になるところまで頑張って続けましょう。

自らの内面と日々向き合い、心を穏やかに保ち、感情の変化に気づけるようになれば、あなたはすでに「あるべき自分」に向かって変化が始まっています。それはRさんが表面に出てきて今の自分と融合が始まっていることを意味します。

以前の自分のように、「○○のような自分になりたい」と強く願い、その方向に進むための方策を必死に探し、努力を重ねなくても、あなたは勝手にあるべき自分に向かって歩み始めています。

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農哲副読本 農から学ぶ「私」の見つけ方(7)

○新たな心の硬盤層を創りださない

 

心の硬盤層は、外から取り入れた情報を手放せずに内に残してしまったために創られます。この社会で生きていくために、情報を取り入れることをやめることはできませんが、必要以上に取り入れないように注意する必要があります。特に外に答えを探しに行くという思考のクセはすぐにでも正したいところです。答えは外の世界にはありません。外の世界と向き合うのではなく自分の内面(中真)と向き合う、この自分の立ち位置を変えるだけで、見える世界は劇的に変わります。必要以上に外に何かを求めることはなくなり、余計な情報を取り込んでしまうリスクが小さくなります。

 

そして意識は絶えず「今」に集中させることです。今できること、今なすべきことに意識を集中し、それを実行します。実際に「今できること」以外のことは、何もできません。できないことを考えてもそれは思考に振り回されるだけで、エネルギーロスを生むだけです。心の硬盤層は過去の自分そのものです。「過去の自分」から解き放すには「今の自分」に集中することです。過去の自分にとらわれることが無くなれば、取り込んだ情報を手放すことも容易になります。今に集中することは今必要なものだけと向き合うことになり、必要ではなくなった時点で手放すことも容易となります。「過去の自分に縛られる」これも思考のクセの一つでした。このクセも正していきましょう。

 

○古い硬盤層を消す

 

長年積み重ねてきた硬盤層はエゴや見栄といった名前に代わって私たちの内部にへばりついており、今の意識を変えても簡単に取り除くことはできません。エゴや見栄といえば、何とかなりそうな感じもしますが、常識や知識も同類です。これを手放せと言われても、そんなことはできるわけがないとも思ってしまいます。

「古い硬盤層を消す」とは、その下に隠れている「本来(あるがまま)の自分」を見つけることであり、「今の自分」を変えることになるのですが、自分を変えなければ!と思い詰めてもいけません。

自分を変えることは実はとても楽しい作業なのです。ですから消せるところから消せばいいし、消せなければそれでも良いと、まずは思っておきましょう。「なんとかしなければ」と思ってしまうとすぐに思考の罠にはまります。

自分を変えようと思うと、変えた後の未来の姿を考えてしまいます。しかしその姿も思考によって創りだされたもので、本来の自分ではないのです。ですから過去の自分に縛られてはいけないと述べましたが、未来の自分に縛られてもいけません。過去も未来も思考が創りだしたものであり、現実は「今」しか存在しません。今に意識を集中させることは、思考のコントロールから自らを開放することです。

 

今なすべきことをやりきったら、あとは天に委ねる。

この感覚を自分の中にしっかりと育てていきましょう。そうすれば思考のクセも少しずつ消していけます。

 

○北風と太陽に学ぶ

 

そうはいっても、「こんな自分は嫌だ!」と強く思っている人がいたなら、「あとは天に委ねる」なんて悠長なことは言っていられません。「消せなければ(変わらなければ)それでも良い」なんて論外です。

でも、自分を変える魔法なんてありません。今の自分にできることは、「今できることをやりきる」以外には何もないのです。今できることに継続して取り組むことが大前提となりますが、その成果を最大限に引き出せる方法が、やりきっても「消せなければ(変わらなければ)それでも良い」という気持ちの持ち方なのです。

それは「こんな自分は嫌だ!」と思っている「今の自分」を受け入れることでもあります。今の自分は過去の自分によって創られてきました。ですから今の自分を受け入れることは、過去の自分を受け入れることです。それは自分と正面から向き合うことで、それは外に逃げないで内と向き合うことです。

 

「北風と太陽」というお話があります。北風は力づくで旅人のコートを脱がせようとしましたが失敗しました。でも太陽は、暖かい陽射しを降り注ぐことで、コートを着たままでもいいし(変わらなくてもいいし)、脱いでもいいよ(変わってもいいよ)という選択を旅人に委ねたのです。そして旅人は自らの意思でコートを脱ぎました。

今の自分を受け入れて、「このままでいいよ」と思ってあげることは、このままでもいいし、どこに向かってもいいという「フリーな状態」を自分の中に創りだしてあげることです。そして、このままで良いと思える心境になれたら、すでにあなたはもう変わっています。

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農哲副読本 農から学ぶ「私」の見つけ方(6)

3.中真とつながる

 

 

全ての人は生まれた時から、その内部に中真を持っています。しかし、この社会で生きていくため、様々な情報を取り込み、それらがゴミや垢となって中真の周りを取り囲み、かくしてしまっています。この壁のような存在を農哲では「心の硬盤層」と呼びます。

硬盤層は前作(P34~)でも取り上げていますが、大切なポイントですので、再度詳しく見ていきましょう。

中真とつながるには、この「心の硬盤層」を取り除かなければなりませんが、そのヒントは自然界(畑)にあります。

 

○畑の硬盤層

 

多くの畑では地面から数十センチ地下に硬盤層を形成しています。

硬盤層ができると、水やエネルギーなどがそこに滞留し、酸化状態となってそこは腐敗します。作物の生育には大きなダメージを与えるので、農家は「耕す」ことで硬盤層を壊します。しかし、硬盤層はすぐに再生してしまうので、繰り返し耕す必要があります。

では硬盤層の正体はなんでしょう。農薬や化学肥料といった化学物質が、土の隙間に潜り込み、目つまりを起こして硬盤層となります。ですから、耕すことでこの層を破壊しても、形成している物質はそのまま残っているので、また硬盤層は再生してしまいます。

自然農ではこの硬盤層を取り除くことから作業を始めます。

自然農では草とどう向き合うが重要なポイントとなりますが(前作P17~)、慣行農から自然農に畑を切り替えた時、最初に生えてくる草はセイタカアワダチソウのような、硬くて細長い草です。初期に生えてくる草は土のデトックスを手伝っているように感じますが、硬くて細長い草は、地中においても硬くて細長い根っこを下に向かって伸ばします。すなわち根っこの成長で畑の硬盤層を破壊してくれるのです。硬盤層を突き抜けた草の根はいずれ枯れて、今度は微生物のえさとなります。微生物を硬盤層の隙間に誘導するのです。そして硬盤層を形成していた化学物質も微生物に食べさせ、その存在そのものを消していきます。

私たちの農法では、この現象を効果的に引き起こすため、光合成細菌(有害物質を好んで食べる微生物)などの微生物を積極的に畑に投入しますが、たとえ人間の関与がなくても自然界は畑の硬盤層を破壊していきます。

硬盤層の正体は人間によって外から持ち込まれた化学物質でした。それは本来そこには存在しない物質です。農哲には「そこにあってはならないものを消し去る」という法則があります。そして本来の姿に戻していきます。

 

○心の硬盤層

 

心の硬盤層も最初からそこに存在していたわけではありません。外から取り入れた情報などが、役目を終えてもそこにとどまり、目詰まりを起こして硬盤層となりました。

それは「そこにあってはならないもの」なので、その存在を消し去ろうとします。そのためにその存在を私たちに知らせようとしますが、それが目の前に現れる試練です。その試練をうまく受け止めることが出来たら、試練を生み出した硬盤層にも変化が生まれるので、状況も変化していきます。しかしその試練から逃げ出したら、状況は何も変わらないので何度も何度も同じ試練が目の前に現れます。

 

心の硬盤層を取り除くには、目の前に現れる試練と正面から向き合い、歯を食いしばっても乗り越えていくしかないのかもしれません。私の場合もひたすら試練と向き合ってきました。しかし長く試練と向き合っていると、試練に隠されたメッセージに気づけるようになってきました。より効率的にその試練の目的を終わらせることができるようになってきました。

畑の硬盤層は、人間が何もしなくても自然界は自力でその存在を消していきます。しかし私たちの農法は微生物を効果的に投入することで、より短い時間でそれを取り除くことに成功しました。心の硬盤層も、人間の知恵によってより効果的に消し去る方法があるのです。

 

心の硬盤層を取り除くためには、2つのことを同時に取り組む必要があります。それは、

・新たな心の硬盤層を創りださないこと

・古い心の硬盤層を取り除いていくこと

の2つです。

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農哲副読本 農から学ぶ「私」の見つけ方(5)

○もう一つの世界:中真

もう一つの世界は「身体(細胞)が感じる美味しさ」の世界ですが、それは独自の世界(幻想の世界)の裏に隠れた世界です。そしてその世界には、農哲でいうところの「中真」(前作P64~)が存在しています。「中真」はすべての世界とつながる核のようなもので、すべての人は中真を宿して生まれてきます。ところがあとから取り入れた情報がゴミとなって中真の周りを覆っていったり、思考のクセが中真から発するメッセージを受け取れなくします。その結果、大人になる過程で中真の存在を忘れ去り、思考が創りだす世界がすべてと思うようになり、バランスを崩していきます。

人間の意識には顕在意識・潜在意識・超意識の3つの意識が存在するといわれています。顕在意識は私たちが普段感じているこの意識で、潜在意識はその裏に隠れている意識です。ここまでは「私」という「個」に付随した意識です。そこまでは何となく理解できますが、さらにその奥に超意識があるというのです。超意識は個の枠を突き抜けすべての意識とつながっています。すべての意識が超意識に畳み込まれているのです。中真の正体は超意識です。

中真は、思考のクセとは真逆の特徴を有します。そこにすべての情報が畳み込まれています。生まれた時から中真は内にあるので、探している情報(答え)は外ではなく内(中真)にあります。

全てがそこにあるということは、分離していないということです。それは「ひとつ」として存在し、分離していません。分離していないので比較することもできず、違いを認識することもできません。

さらには、中真には過去も未来も存在しません。過去と未来も時間軸のすべては「いま」という一点に畳み込まれています。ですから過去にとらわれることもありません。このように「この世界」と真逆な状態が「もう一つの世界」の姿です。この二つの世界に善悪はありません。コインの表と裏の関係でいつも同時に存在しており、私たちはこの2つの世界を同時に生きています。しかしそのことを忘れ、両者が乖離してしまったことが、人生における様々な課題を生み出します。

 

○比較する

その乖離は思考のクセによって生み出されたもので、課題を生み出す原因は自分の内にあります。しかし様々な課題や試練は外からやってくるもので、自分に原因があるといわれても納得できません。そもそも「思考のクセが課題を生み出す」という仮説は正しいのでしょうか。

例えば、「どうして自分だけがこんな目に合わなければならないのか」と思うことについては、そうではない他人と自分を比較することでそう思います。それはとても普通のことで、それはクセだといわれても、あなたはバカかといわれそうです。

 

他人との比較は、自分は「何か」と分離しているという分離感によって生み出されるクセのように感じます。しかし人は皆、この世に誕生する時に母から切り離されるという大きな分離感を体験しています。この原体験が根っこにあるので、簡単には消せません。この課題はきっと最後まで残りそうです。でも比較するというクセは後から身に付けたものなので、これを消すことは可能です。

 

私たちは周りの人を観察します。そのことは別に悪いことではありません。でも観察した次には、「だからあの人は○○だ」というジャッジ(評価)を下していませんか。その評価が正しいとしても、それはその人の特徴(問題)であってあなたには関係ありません。その人はそれが理由で大きな課題と向き合っているかもしれません。相談されたら、アドバイスをしてもいいでしょう。でも、最終的には自分で答えを見出さないとその課題は解決しません。あなたが関与できない問題にあなたが評価を下す必要は何もありません。

他人を評価するということは、あなた自身が周りの人からどう思われているかという人の評価を気にしているからです。でもあなたが人からどう思われているかは、あなたには何も関係ないのです。あなたの問題はあなたにしか解決できません。それが夫婦間の問題といった、複数の人間がかかわるものであっても同じです。それを問題だと感じているあなたを救えるのはあなたしかいません。

「どうして自分だけがこんな目に合わなければならないのか」という気持ちは、そうではない他人を探し出し、その人がうらやましいという感情が根っこにあります。しかし、他人がどんな生活をしていようと、あなたの人生とは全く別物なのです。今のあなたにとって、あなたを救うことだけが重要課題なのです。

 

自分と正面から向き合うことに集中するために、人からの視線(評価)は受け流しましょう。そしてそのためには、あなた自身が人を評価しないことです。比較することの目的が評価することにあるのなら、評価しないことで、そのクセを消すことができるかもしれません。クセを消した先にはあなたが救われるという現実が現れます。

 

○オンリーワン

比較することをもう少し掘り下げます。

例えば、畑でできたニンジンとダイコンを比較する人はいません。なぜなら意味がないからです。意味のないものを比較してそこに意味を持たせようとしているところに問題が生まれます。

同じ種から育てたニンジンでも、その育て方(農法)で出来が異なります。その場合、出来が異なるニンジンを比較し、その違いが生じた原因を突き止め、育て方を改善していくのであれば、比較することに意味があります。

しかし、ニンジンとダイコンを比較するのは人間とサルを比較するのと同じであり、そんなことはだれもしません。人と人を比較するのは、出来が異なるニンジンを比較するのと同じで意味があるのではないでしょうか。

 

答えは否です。

あなたがニンジンとして生まれたのであれば、他にニンジンとして生まれた人は一人もいません。私たちは生まれながらに個性を有しています。個性はオンリーワンであり、個性の違いに良いも悪いもありません。

私たちは、生まれた時から「本来の(あるがままの)自分」を有しています。しかし「今の自分」はそれとは異なる姿をしています。比較して意味があるのはこの両者を比較することだけです。「今の自分」のどこが歪み、その歪みを生じた原因を突き止め、「本来の自分」を取り戻していくためにです。

 

「自分のなすべきことがわからない」といった課題も、本来の(あるがままの)自分を見失ったことで生まれます。そしてその答えを外に探しに行きますが、そこに答えは見つかりません。

しかし中真には全てが最初から存在しているので、そこには本来の自分の姿もあります。答えを外に探しに行かなくても、最初からその答えを内に持っていたのです。ですから見失ってしまった中真とつながれば答えもわかります。

 

さてこの仮説が正しいかどうかは、すべての人が検証可能です。あなた自身が実際に体験してみればわかります。そしてその検証作業は、とても楽しい作業となります。次に中真とつながる方法を考えます。

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農哲副読本 農から学ぶ「私」の見つけ方(4)

2.二つの世界

 

美味しさを感じるとき、脳によって感じる美味しさと身体(細胞)が感じる美味しさの2つがあるとご理解ください。

もう少し大げさに言うならば、私たちは脳によって創りだされた世界と、それとは異なる世界の2つの世界に同時に生きています。

「わたし」という感覚は、唯一のもののように感じますが、「別のわたし」がその裏に隠れています。そしてこの両者は、どちらが正しいという問題ではなく、両者とバランスよく付き合っていくことが重要なのですが、問題は、多くの人が「別のわたし」の存在を見失い、その結果としてバランスを崩しています。

農哲の法則には、バランスが崩れるとそれを取り戻すための力が働くというのがあります。私たちは人生において、崩れたバランスを取り戻そうという力が常に働いて、それが様々な試練となって現れ苦しみます。しかしバランスを取り戻せば、その試練は消えていきます。

 

○脳が創り出す世界:独自の世界

バランスを取り戻すには、二つの世界の存在を認識し、両者の違いを理解することが大切です。

まずは、私たちのだれもが認識しているこの世界の正体を探りましょう。

私たちが存在するこの世界は唯一の世界のように感じます。そしてすべての人には同じ世界が見えているようにも感じます。確かに海や山、月や虫など私たちに見えている景色は同じです。しかしその同じ景色に、ひとりひとりが思考というオブラートを重ね、その人独自の世界を作り上げています。これが「脳によって感じる美味しさ」の世界です。

 

人類が長い時間をかけて創り上げてきたこの社会は、思考(脳)によって創られました。自然界では見られない特異な現象です。そして新たに生まれた生命は、この社会で生きていくことを強制されます。

生きていくために必死で外から情報を取り入れます。そして、この社会で生きていくために必要なルール(社会性)を身に付けたり、周りの人々と共に生きていくための協調性や柔軟性を身に付けます。
 
私たちは絶えず新たな情報を取り入れていかなければなりません。それは必要なことですが、問題はそのあとです。その情報の役目が終わったら手放せばよいのですが、その多くは私たちの「内」にゴミとしてとどまってしまいます。そしてその積み重ねによって「独自の世界」が私たちの中に創られます。

私たちが生きていくうえで遭遇する様々な課題(悩み)は、その多くがこの「独自の世界」によって生み出されているのです。

「独自の世界」はあなたが築き上げた価値観や常識です。あなたの思考によって生み出されたものであり、すべての人に共通するものではありません。あなたの価値観は絶対的なものではなく、あなたが創りだした幻想のようなものです。私たちは同じ世界に生きていると感じていますが、ひとりひとりが固有の世界を創りだし、別の世界を生きています。

そして「独自の世界」を創りだす過程で、様々な思考のクセも創られていきます。ところでこの「独自の世界」は、後から「心の硬盤層」として再登場しますので、覚えておいてくださいね。

 

○思考のクセ

あなたの内にストックされている情報(ごみ)は、過去のあなたが受け入れたものです。ですからそれを否定する新たな情報は、受け入れることに抵抗します。それは過去の自分を否定することになるからで、自分を守るために否定します。絶えず過去の自分とつながりながら判断してしまう、これが一つ目のクセです。

情報は外から取り入れます。私たちの視線は「外」に向かっています。外と自分に境界線を引き、両者を分離して比較してものごとを判断しようとします。自分と他人を比較して自分の位置づけを認識します。分離して認識するというのが二つ目のクセです。さらには比較によって認識しようとします。すなわち相対的な違いだけに意識が向かい、「同じ」であることを認識するのが苦手です。違いだけを認識するのが三つ目のクセです。これらのクセによってあなたの課題は生まれます。それはあなた自身が生み出すものですが、私たちにとって外の世界がすべてなので、課題の原因や解決するための答えを外に探しに行きます。絶えず外に意識が向かう、これが4つ目のクセです。

思考のクセには

 ・過去(の自分)にとらわれる

 ・分離して認識する

 ・違いだけにフォーカスしてしまう

 ・外に原因や答えを探しに行く

などがあります。

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農哲副読本 農から学ぶ「私」の見つけ方(3)

○味の実験

調査に協力してくれたのは

 ・小学校低学年

 ・その親世代(概ね30代)

 ・その祖父母世代(概ね60代)

で各十数名の人に食べ比べていただきました。そしてその結果は見事に異なりました。

60歳代の人たちはほとんどがAのみかんが美味しいといいました。そして30歳代の親世代はほとんどがBのみかんを選びました。そして小学生低学年の答えは、真っ二つに割れました。半数がAと答え、半数がBと答えたのです。

私は前職で様々な調査にも取り組んできましたが、世代の違いで回答がこんなに異なる調査を経験したことがありません。

さらにその理由も聞いてみました。

60歳代の人たちは「Aのみかんは昔食べたみかんの味だ。今の時代でこの味のみかんを食べられるなんて感動した。嬉しい。」と言ってくれました。そして30歳代の親世代は「Bのみかんは甘いから美味しい」と答えました。そして子供たちですが、Bを選んだ子供たちは親と同じように「甘いから美味しい」と答えました。そしてAを選んだ子供たちは、「美味しいから美味しい」と答えたのです。

「美味しいから美味しい」って素晴らしい回答だと思いませんか。『美味しさに理由なんかないでしょ。ただただ美味しいから美味しいのです。』子供たちにそんな風にしかられたように感じました。そうか、本物の美味しさには理由など不要なのだ。そしてそこにこそ大切な秘密が隠れている。

ちなみに調査に使用したみかんの素性ですが、どちらも品種は同じで、Bは消費者が好むといわれている酸が低くて糖が高い慣行農栽培(農薬を使用した通常の栽培)のみかんで、Aは自然農栽培のみかんです。

 

 

みかんの味については前作(P45~)でも取り上げているので詳しくはそちらを読んでいただくとして、結論のみ述べると、みかんの味は酸と糖の二つだけで作られているのではなく、ビタミンやミネラルといった微量栄養素も含めたバランスによって作られます。「甘いだけ」という言葉がありますが、それはそこに糖はあるがそれ以外の栄養素が失われている味です。そして他の栄養素までしっかりと詰まった本物の美味しさを目指すには、自然農という栽培方法でしかその味を実現できなかったのが、私が自然農栽培に取り組んでいる理由です。

 

○美味しさの秘密

 

「美味しいから美味しい」の秘密を探るために、私たちはどんな時に美味しいと感じるかを考えてみます。

例えば、高級レストランで数万円もするコース料理をいただいているとき、これは絶対に美味しい!と思っているはずです。あるいは1時間以上並んでやっとありつけたラーメンも美味しいと感じるでしょう。おふくろの味やふるさとの味も美味しいですね。さらには過去に美味しいと判定したあの時の味と似ているとか、私たちには美味しさのデータベースが脳の中に構築されていて、舌から受ける刺激とそのデータベースと照合しながら、美味しいかどうかを判定しているように思います。

先の調査結果に戻るなら、60歳代の人々がAを美味しいといったのは、懐かしい記憶とつながって味に付加価値がついたからでしょう。そしてBが美味しいと答えた人たちは、「甘いみかん=美味しい」という脳のデータベースが判定したのではないでしょうか。

では「美味しいから美味しい」という美味しさはどこから来るのでしょうか。

 

私たちは普段から様々なストレスを感じており、そのストレスから身を守るために免疫機能が発動されます。この免疫機能は複数の栄養素のチームプレイによって発揮されますが、その時栄養素が消費されているのです。そして複数の栄養素の一つでも欠けているとその免疫機能は発揮されず、身体がダメージを受けます。

体内に存在する栄養素は絶えず変化し、バランスを崩します。しかし微量栄養素の多くは体内で生産することができず、食事として口から取り入れなければなりません。体内に不足している栄養素を補うために、「無性に○○が食べたくなった」という感覚はだれもが体験しているのではないでしょうか。

すなわち、不足している栄養素を含む栄養バランスが整った食事を口にした時、身体(細胞)は「これが欲しかった!」と喜ぶのです。それが「美味しい」という感情となって表に現れます。

 

しかしこの「美味しい」感覚を日常において感じることは意外と難しいのです。食べ物を口にした時、舌が受け取る刺激(味覚)がまず優先されます。そして脳のデータベースと照合し、その味の評価を下します。Bのみかんは甘いから美味しいと感じたのはこのためです。

しかし、食べ物が口から消えた(舌で感じる美味しさから解放された)時、身体の奥の方から湧き上がってくる感情に気づくことがあります。私の場合、それは暖かい陽だまりにいるような、やさしい甘さに包まれたとても幸せな感覚でした。これこそが本当の美味しさであり、身体からのアリガトウのメッセージであると感じます。 (以下、続く)

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